映画「猿の惑星 新世紀(2014)」/ 寡黙なコミュニケーションのよさ
今更ながら、あけましておめでとうございます。
最近部屋にプロジェクターを買ったので、寝る前に映画を見ることが多い。
昨夜はタイトルの作品を見た。大すき。
この作品の魅力は、なんと言っても猿たちの描き方。化学実験によって高度な知能を得た猿たちは、独自のコロニーを築いて森で暮らしている。言葉はあんまり話せない。ボキャブラリーは少ないし、文法も簡略化されている。だけど、ミニマムな言葉の連なり+鳴声+ボディランゲージから、さまざまな感情や、深い思慮が読み取れる。
好きな場面のひとつは、猿たちが森で人間のグループ(敵)と出会ってしまうところ。
怯えた人間のひとりが、ロケットという猿を銃で撃ってしまう。一触即発の場面で、しかし猿のボス・シーザーは、人間たちに「帰れ(GO)」とだけ言う。
人間たちがほうほうの体で去ると、シーザーは部下のコバに「追え(FOLLOW)」と命じる。コバが駆け出すと、となりにいた屈強なゴリラが鼻息荒く後に続こうとするが、シーザーは無言で腕を上げ、ゴリラを止める(上に貼った予告編の00:33)。
コバに行かせる、ゴリラは止める、というところが、何気ないけどうまいよなあと思うのである。コバはシーザーと同じチンパンジー。前のシーンで熊に殺されかけたシーザーを救った有能な部下だし、シーザーも右腕的存在として信頼をよせていることがわかる。一方ゴリラといえば、シーザーことチンパンジーをはじめとする猿軍団の中でも、ひときわ体躯が大きく血気も多い、いわば戦闘員だ。ゴリラを行かせない=すぐに戦闘をはじめる気はない。でもコバは行かせる=警戒はしているので、動向を探る。というわけだ。
また、この間シーザーの視線は、先ほど人間が去った方にじっと向けられたままである。このことから、シーザーが先(未来)を見て思考を巡らせていることがわかるし、また見もせずにゴリラを腕で制したことから、仲間の性質(ゴリラの血の気の多さ)をよくよく理解していることがわかる。
最高。
個人的にこういう寡黙なコミュニケーションこそ、映画を見ていて一番面白いと感じるところだったりする。