『アリー』/ 劇中歌「Shallow」の意味を図解してみる
『アリー:スター誕生』が飯田橋ギンレイホールで再上映していたので観てきた。
これが予告編。
レディ・ガガとブラッドリー・クーパー演じる歌手のカップルの、出会いと別れを描いた映画。いわゆるピグマリオン(Wikipedia)のストーリーラインなので、予告編を観た時点でお話はほとんど全部わかったようなもの。そういう意味では、お話に意外性はないのだけど、流石に歌はよかった。
特に、序盤で二人がメイン曲の『Shallow』を歌うところは感動した。曲がいいし、二人がお互いにとってどんなに特別で、唯一無二の存在かが伝わってくる。ここのためだけでも、見る価値は十二分にあった。
ところでネットを見ていると、この『Shallow』の歌詞の和訳が出てくるんだけど、「Shallow」= 浅い「関係」という解釈がたくさん見られる。
なるほど、これはこれで一つの歌としては、意味が通っている気もする。ただ、上のように「Shallow」= 浅い「関係」と訳してしまうと、「思い切って深い仲になりましょう。もう浅い関係には戻れないわ。」と、シンプルな「色恋」がテーマの歌ということになってしまう。その解釈だと物語の流れにはそぐわないのではないか?
ぼくの解釈はちょっと違っていて、「Shallow」っていうのはふたり以外の人たち=「世間」のことかな、と思っている。
以下、めっちゃ直訳だが、訳してみる。
尚、あとで説明するための便宜として、パートをA、B、サビと分けることにする。
(ブラッドリー・クーパーのパート:A-1)
Tell me somethin', girl
教えて、そこの君(レディ・ガガのこと)。
Are you happy in this modern world?
この現代社会にいて幸せか?
Or do you need more?
それとも、もっと何かを求めているのかい?
Is there somethin' else you're searchin' for?
何か他に、探しているものがあるのかい?
(ブラッドリー・クーパーのパート:A-2)
I'm fallin'
ぼくは落ちていく。
In all the good times I find myself longing for change
調子がいいときには、変わりたいって切望している自分に気づく。
And in the bad times, I fear myself
調子が悪いときには、自分が怖くなる。
(レディ・ガガのパート:B-1)
Tell me something, boy
教えてよ、そこのあなた(ブラッドリー・クーパーのこと)。
Aren't you tired tryna fill that void?
(心の)空白を埋めようとがんばるのは疲れない?
Or do you need more?
それとも、もっと何かを求めているの?
Ain't it hard keepin' it so hardcore?
そんなふうに頑固でいつづけるって疲れない?
(レディ・ガガのパート:B-2)
I'm fallin'
わたしは落ちていく。
In all the good times I find myself longing for change
調子がいいときには、変わりたいって切望している自分に気づく。
And in the bad times, I fear myself
調子が悪いときには、自分が怖くなる。
(レディ・ガガのサビ)
I'm off the deep end, watch as I dive in
もう自分を抑えられない、私が飛びこむのを見ていて。
I'll never meet the ground
地面にはぶつからない。
Crash through the surface where they can't hurt us
水面を貫いて、彼らが私たちを傷つけられないところまで行く。
We're far from the shallow now
私たちは、もう浅いところからはずっと遠くにいる。
以上。
なるべく意訳せず、そのまま日本語に置き換えたつもりだ。
さて、以下ではこの曲を5つのパート、ブラッドリー・クーパーが歌うA-1とA-2、レディ・ガガが歌うB-1とB-2、そしてサビに分けて、細かく見ていきたい。
劇中でこの歌は、二人の即興的なやりとりの中から生まれる。
出会ったばかりのレディ・ガガとブラッドリー・クーパー(今更だが、以下は役名の「アリー」と「ジャクソン」で呼ぶことにします)は、人気のない深夜のスーパーの駐車場で、ポツリポツリと話をしている。
ジャクソンは、バーでアリーが歌うのを聴いて、彼女の圧倒的な才能を見抜いている。
アリーがもっと大きな舞台で活躍できる歌い手だとわかっているし、彼女がそこに行きたがっていることもわかっている。
でも、見た目が悪いからスターにはなれない、と世間からずっと言われて、挑戦を恐れるようになってしまったこともわかっている。
だから、アリーを焚きつけるために、彼のパートA-1を歌う。本当は挑戦したいんじゃないの?と。
次にジャクソンは、パートA-2で自分の心情を吐露する。
彼は歌手として成功しているが、ずっと寂しそうだ。
何かを紛らわすように酒を飲んでいる。変わりたいと思ってはいるけど、自分は結局、このまま一人で落ちていってしまうんじゃないか。
その恐れを、ここでアリーに打ち明けているわけだ。
それに対して、アリーが応えるのが彼女のパートB-1。
アリーはジャクソンと会ったばかりだが、すでに彼が能天気なスターではなく、孤独を抱えた人間であることがわかってきている。
酒に溺れて気を紛らわせ、世間からはひとりの人間としてではなく「スター」として扱われ、失礼な態度を取られても反撃するパワーもない姿をくりかえし見た(バーではからまれ、スーパーのレジでは勝手に写真を撮られたが、笑ってスルーしている)。
歌だけに打ちこんで、あなた個人の人生は大丈夫?それで幸せ?みたいなことを問いかけている、たぶん。
ここで、アリーのパートB-2。
言うまでもなく、ジャクソンのパートA-2と全く同じ。
わたしも同じように怖いよ、と言っている。
ここまでをまとめると、ざっくり以下2点のことがわかると思う。
・ふたりが互いに深く理解しあっていること
・ふたりとも世間から離れ、孤独を感じていること
さて、ここからアリーのサビ。
「dive」「surface」「shallow」などの単語から、ここの歌詞は「水」のイメージを比喩として使っている。
アリーは自分のパートで「I」=「わたし」が水に潜ると言っていること、またジャクソンが自分のパートでアリーに「こっち(音楽の表舞台、スターの世界)に来て挑戦しなよ」と誘っていることから、たぶんジャクソンは水の中にいて、そこにアリーが飛びこむ、という位置関係であると思われる。
だからこそ、この後ジャクソンのライブにて、大観衆の前でアリーがサビを歌うところがめちゃくちゃ感動的なのだ。
あれは歌詞とシンクロしていて、アリーが勇気を振り絞って表舞台に飛び出した瞬間だから。
これをふまえて、サビ後半の歌詞を見るとどうだろう。
「Where they cannot hurt us(彼らがわたしたちを傷つけられないところ)」=「far from the shallow(浅瀬から遠いところ)」なので、「they(彼ら)」は「shallow(浅瀬)」にいる。
わたしたちを傷つける彼らとは、言うまでもなく上で述べたような、アリーの容姿をもってお前はスターになれないと言う人たちであり、ジャクソンにバーで絡んだり勝手に写真を撮ったりする人々=世間であるわけだ。
この曲の流れを図にすると、下のような感じ。
浅瀬では、「世間の人たちがワイワイと楽しそうやっている。
二人はそれぞれの世界(陸上と水中)で孤独に生きている。それが、アリーが「Dive(飛び込む)」することで変わる。
①アリーは陸でひとりぼっち。ジャクソンは水中でひとりぼっち。世間は浅瀬でワイワイと楽しそうにやっている。
②アリーが思い切って飛び込む(Diveする)。
③アリーが水中に潜っていく。
④アリーとジャクソンは水中で二人だけの世界。もうさみしくない。
こんな感じではないかと思うのだが、どうでしょうか。
ラスト、ジャクソンを失ったアリーが大観衆の前で歌っているが、唐突にカットが切り替わり、アリーとジャクソンが二人きりで歌っている光景が映される。
二人とも才能豊かな天才同士で、人気者だけど、本当は二人にしかわからない、二人だけの世界がある。いいシーンだ。
2回ある「Shallow」の歌唱シーンとこのEDには、いたく感動した。
まだの方は、ぜひチャンスがあれば、映画館で再上映されている時に観てほしい。