歌『長崎は今日も雨だった』についてよく考えてみる
前川清の『長崎は今日は雨だった』という曲を聴いた。
今度長崎に出張に行く。夜はカラオケやらスナックやらに行く可能性がある。
そんな時に、ぜひ素敵なおじさまと一緒に歌えるような曲があるといいな、と考えた。そして「長崎」「昭和」「歌」で調べた結果、『長崎は今日も雨だった』にたどりついたわけである。
この歌がとてもよかった。最後、長崎の「雨」の意味が変化する歌詞の構成が面白い。というわけで、一文一文、もっとつぶさに見て、歌詞の意味をよく考えてみたい。
さて、歌詞はこんなふうである。
あなたひとりに かけた恋
愛の言葉を 信じたの
さがし さがし求めて
ひとり ひとりさまよえば
行けど切ない 石だたみ
あゝ 長崎は今日も雨だった
冒頭2-3行で、もう背景説明はバッチリだ。真剣な恋だったのに、実はどうやら一方通行だったらしい。失恋だ。
ちなみにこの歌の語り手はどう考えても女性口調なのだが、絵ではなんとなく男性主人公にしてしまった。歌い手の前川清も男性だし、なんだか男性が、自分の失恋話を照れ隠しで「これ女性の話なんですがね」ってごまかして作った歌みたいに感じるからだ。
ところで歌詞の中の「一人さまよえば行けど切ない石だたみ」ってどう言うことだろう。調べてみると、長崎には「オランダ坂」と言う石畳が敷かれた有名観光スポットがあるらしい。
ひょっとすると、彼女とかつてデートした思い出の場所だろうか。それか、このオランダ坂の上には女学校があるらしいので、彼女がそこの学生だったのかもしれぬ。
夜の丸山 たずねても
冷たい風が 身に沁みる
愛し 愛しのひとは
どこに どこにいるのか
教えて欲しい 街の灯よ
あゝ 長崎は今日も雨だった
「丸山 (Wikipedia)」 は長崎市内にあった花街(遊女・芸者などの集まる街)らしい。要は大人の遊び場だ。そんなところをフラれた人を思いながら歩くのは、さぞかし寂しかろう。
誰もが自分に無関心で楽しんでいるというのが、いちばん強く孤独を感じる状況である気がする。そういえば、大学に入ってすぐ参加したサークルの新歓コンパでも、そんな思いをした。あれは辛かった。
それにしても、この日の長崎は雨が降っているだけでなく風も冷たいらしい。彼の体調が心配になる。
頰にこぼれる なみだの雨に
命も恋も 捨てたのに
こころ こころ乱れて
飲んで 飲んで酔いしれる
酒に恨みは ないものを
あゝ 長崎は今日も雨だった
どうやらお酒を飲んでいるようである。お手本のようなやけ酒だ。ともあれ、彼がようやく屋内に入ってくれたのでホッとした。
ここでは、雨は文字通りの雨ではなく、頬を伝う涙のことである。この見事な転換。
いや、それともはじめから、雨なんて降っていなかったんだろうか。ずっと泣いていたのかも。涙に歪む視界を「雨」と表現していたのかもしれない。
ちなみに長崎県は、全国の降水量ランキングで第11位。実際にそこそこ降る県ではあるらしい。
以上、『長崎は今日も雨だった』を読み解いてみた。書いてる間ずっとBGMで聴いていたが、本当にいい歌だ。
いつか主人公の彼の心が晴れ、新しい恋に踏み出せるといい。