ぼくのネタ帳

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『アドルフに告ぐ』の魅力

手塚治虫の『アドルフに告ぐ』を読んだ。

[まとめ買い] アドルフに告ぐ

 

Wikipedia概要より)

第二次世界大戦前後のドイツにおけるナチス興亡の時代を背景に、「アドルフ」というファーストネームを持つ3人の男達(アドルフ・ヒットラーアドルフ・カウフマンアドルフ・カミルの3人)を主軸とし「ヒトラーユダヤ人の血を引く」という機密文書を巡って、2人のアドルフ少年の友情が巨大な歴史の流れに翻弄されていく様と様々な人物の数奇な人生を描く。

 

全5巻ながらとても骨太な読み味というか、一巻一巻がどしりと重厚で、1日かがりで一気読みした。めっちゃ面白かった!こういう歴史ものは好きじゃないつもりだったので、すんなり読みきれたことに感激している。

この漫画、何がそんなに面白いのか、自分なりに4つのポイントに絞って考えてみたい。

 

①アドルフ・カウフマンというキャラの魅力

主人公のひとりであるカウフマンの、引き裂かれたキャラクター像がとても面白い。

カウフマンは第二次対戦前の神戸で、ナチス党員のドイツ人の男性と、日本人女性の間で生まれる。小さい頃は優しい子なのだが、父がSSの高官だったために、ヒットラーユーゲント(ナチスのエリート養成学校)に入れられ、ナチスの思想を徹底的に叩き込まれることになる。親友はユダヤ人(=もう一人の主人公であるアドルフ・カミル)、はじめて恋をした女の子もユダヤ人、最愛の母も日本人(ナチスは日本人も蔑視していた)である彼だからこそ、ナチスの思想に疑問をいだき、悩むことになる。

しかしそれでも、親友の父を殺すという一線を超えて、ナチスに染まっていってしまう。

 ナチスが悪いなんて、歴史を後から見ているぼくら現代人にとっては常識だ。だけど、優しくて勉強もでき、いくらでもナチスの思想を疑う余地(ユダヤ人に親しい人がいっぱいいる)があったはずの彼が染まっていってしまうのなら、自分だって環境次第でこうならないとどうして言えようか。だからこそ、このカウフマンの変化の過程が、ものすごくスリリングだ。 

それだけに、後半ではっきりと「悪」に染まってしまうと少し面白みは薄れる。レイプとか、ナチスの思想とか関係なく人間失格の卑劣漢になってしまっているし。

最後には、カウフマンとカミル(親友)はそれぞれパレスチナ解放戦線とイスラエルの遊軍となり、青年期を超えてもまだ殺しあう立場になる。ここまでの物語で随分思い入れてきただけに、これは悲しかった。宿命が二人を逃がしてくれなかったんだなあ。。この決闘で勝ったカミルも結局はテロで死んでしまうし。唯一の救いは、一応二人が愛した女・エリザだけは不幸にならなかった、というところか。

 

②謎が謎を呼ぶ展開

カウフマンと並ぶ、この物語のもう一人の主人公が、峠草平だ。

上の概要ではカウフマン以外のアドルフ(ヒットラー、カミル)が主人公みたいに書かれているが、この人たちより峠さんの方が全然主人公。かっこいい。男らしい。大好き。狂言回しの峠草平が、ナチスによる謎の連続殺人事件を追ううちに、ヒトラー出生の謎に迫っていくというのが、この漫画全体の主軸になっている。石膏、弟の死、芸者の死、ワグナー。謎が謎を呼び、ひきこまれる。序盤〜中盤にかけてグイグイ読めるのは、この謎の推進力があってこそ。

それゆえに、終盤でナチス政権が明らかに斜陽となってくるにつれ、緊張感は薄まってゆく感はある。ヒトラーが実はユダヤ人だった、という出生の秘密は、ナチスが全盛期であればこそ思想的打撃を与える一手となるのであって、その勢いが衰えてしまうと重要性も薄まる。戦争末期ではナチス党内でさえヒトラーへの信頼は失われているので、もう出生云々なんてどうでもええやん、と思えてくる。

ところで峠草平は、結局弟との約束のことをどう思っているんだろう?弟としては、もっと早くに、最も効果的な形であの文書を公表してくれることを望んでいたはず。その思いを結局果たさせてやれなかった悔いはあるんだろうか。

 

③峠草平と女たち

峠は前述の通り、謎解きパートの主人公だ。元陸上選手の記者で、華があり、体力があり、根性があり、人にものを伝える知性がある。

こんな人なので、峠はいく先々で謎解きのついでに女たちを魅了していく。この女性キャラクターたちが、「昔の女」って感じで魅力的だ(現代のジェンダー的な視点ではまずい描き方のような気もするけど、ここでは置いておく)。

ぼくが特に好きなのは、若狭・追ヶ浜で小料理屋を営む女・お桂さん。この人は16章と35章しか出てこないのだが、たまらん。大好き。いい女だ。16章で結局は去っていく峠を追いかけず、(とっくに戦死したであろう夫を待つために)追ヶ浜に帰っていく姿に惚れた。最後は峠と一緒になれたと信じたい。そういうことですよね、手塚先生?

峠がどんどん肉体的には才能を奪われていって、最後には片手(=書くこと)だけが残るというのも、悲しいが味わい深い。彼のランは、あそこで終わったんだ。

  

④正義とは

この作品の主題は「正義とは」。といっても、正義とはこうあるべし、という定義を解くのではない。「国家など、大きなものの笠を着て語られる『正義』は本当に正しいのか、見極める目を持とうよ」ってことだ。

「国民が間抜けだから国が正義を語って暴走できるんだ。」という劇中のセリフが象徴的。誰かのせいにせず、まずは自分がきちんと知識と判断力を持たないといかんな、と思う。でないと、たった一人の魅力的な狂人の登場で世界がひっくり返ってしまうんだから。

 

とにかく面白い超大作だった。手塚治虫は『火の鳥』と『ブラックジャック』が好きだったんだけど、本作が一番好きになったかもしれぬ。

この調子で、歴史物つづきで『ブッダ』も読んでみたいと思う。