ぼくのネタ帳

映画や日々の考えについて書いてます。

お泊まりのワクワク

小さい頃、お泊まりがすきだった。

 

お泊まりとは、ふだんと違うところで夜を過ごすというイベントである。友だちの家に泊まるくらいの小規模なものから、林間学校のような大規模なものまで、いろんな種類がある。どれもこれも、狂おしいくらいにすきだった。

 

ぼくが通っていた幼稚園には、年に一度、みんなで幼稚園の園舎に泊まる、というイベントがあった。お泊まり会の晩には、幼稚園の庭で甘口のカレーとフルーツ・ポンチがふるまわれるのが定番だった。

フルーツ・ポンチの甘さは鮮明に覚えている。四角いゼリーだと思ったのはナタデココで、噛むとぎゅーっと汁が沁み出して、不思議な食べ物だと思った。いつも、先生が自分のお椀にいくつフルーツを入れてくれるかが気がかりだった。

寝るときは、ふだんの幼稚園の制服から、パジャマに着替える。はじめて見る、みんなの「完全プライベートモード」の姿に、妙な興奮を覚えた。

 

絵本では、「いそがしいよる」という作品がすきだった。ばばばあちゃんという老婆を主人公とするシリーズの一遍である。

ある晩、ばばばあちゃんは夜空がとても綺麗なことに気がつく。はじめは椅子を庭に持ち出して眺めている。つづいて、お茶を飲むためのテーブルやら、毛布やらを持ち出してくる。だんだんエスカレートして、ベッドまで出してきて、ほとんど寝室をそのまま庭に持ってきたような形になる。

"外で寝る"というワイルドなアイディアを思いついたばばばあちゃんが、ガンガン家具を運び出す姿に燃えた。あのドライブ感は素晴らしかった。

いそがしいよる―ばばばあちゃんのおはなし    こどものとも傑作集

 

友だちの家に泊まりに行ったときの高揚感も、よく覚えている。

ぼくは耳鼻科医の息子で、だからというわけではないが、歯医者の息子と仲がよかった。小学校5年生くらいのときが仲良しのピークで、彼の家にもしょっちゅう遊びに行っていた。それでも、はじめて「お泊り」をしたときには、ものすごく特別感があった。

まずはじめに、彼が家中をツアーしてくれた。いつも遊ぶときは、玄関から2階にある彼の部屋に直行していたので、他の場所は未知の世界である。リビングの照明は暖色で、ホテルみたいに落ち着いた高級感があった。テーブルには歯の模型が置いてあった。歯科大学に通っている友だちの兄が、勉強のために使っているものだ。家族写真に映っている友だちの兄は、こう言っては悪いがまさに「友だちをかっこよくした」といった風貌だった。ぼくのそんな思いを察してか、友だちは「兄も小さい頃は自分に似ていたので、自分もいずれこのような顔になるのだ」という主旨の説明をした。

風呂場にも連れて行ってくれて、ここの天井のシミがひとの顔に見え、小さい頃は怖かった、と教えてくれた。本当は今も怖いのではないか、とこっそり思った。ぼくも、自分の家にそういう場所があったから。父の部屋の天井の木目がひとの顔に見えたのだ。また屋上では、朝たまにここに出て歯を磨くのだ、とか教えてくれた。

夕飯で食べた彼のお母さん手作りのピザは大層美味しかった。フォークで薄く伸ばされており、独特の食感だった。翌日は、彼女が運転するボルボに乗って、近くの市民プールで遊んだ。そう、あれは夏だったんだな。帰りにジョナサンでご馳走になったパフェが美味しかった(これはもうお泊まり関係ないが)。

その後、友だちは父を継いで歯科医になった。ぼくは医療とは全然関係ない、貿易の会社で働いている。

歯列模型 歯形模型 歯磨き指導模型 学習用小型モデル

 

高校2年のときは、文化祭実行委員として、準備のために校舎に泊まったこともある。ベッド代わりのパイプ椅子を並べて寝そべり、友だちと来るべき大学生活について話し合った。

話題は主に女の子のことだ。ぼくらが通っていたのはガリ勉系の男子校だったので、女の子への憧れについてなら、いくらでも語っていられた。友だちは身長174cm、声が低く、落ち着いた性格の男だ。ぼくは身長169cmで、いつもおどおどしていた(残念ながら今も身長169cmで、今もおどおどしている)。お前は背も高いし、すぐに彼女ができるだろうな、とぼくが言うと、彼は天井を向いたまま、174cmはそんなに高くはないよ、と冷静に言った。

1日働いた後でめちゃくちゃに疲れていたけど、眠るのが惜しくて、ポツポツと小さい声でいつまでも話していた。ぼくらのすぐ隣では、別の同級生が携帯で「すべらない話(ゴールデンになってから1、2回目だった)」を見て、一人で笑っていた。

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その他にも、友だちとすきな子を言い合ったらかぶっていて気まずかった修学旅行とか、いろいろな思い出がある。

別にとびきりいいことがあったわけではない。こうして書いてみても、結局何も大事は起こっていないのがわかる。なのに、ぼくはあれの何がそんなにすきだったんだろう。不思議なことに大学に進んでからは、そういうワクワクは感じなくなってしまった。夜通し飲んで喋ってというのもそれなりに楽しいが、どこか乗り切れない。社会人になった今もそうだ。

 

あの「お泊まり」への憧れは、どこから来たんだろう。ワクワクの条件がわかれば、もう一度あの「特別感」のあるお泊まりを体験できるかもしれない。

一つ言えるのは、普段と違う場所ならいい、というのでもなかったことだ。昔から、家族旅行で外泊しても、楽しくはなかった。今も、旅行先で寝ること自体には特に心惹かれない。海外で泊まるのも、幼稚園に泊まる新鮮味に比べたら、もう全然だ。日常との「物理的な距離」は関係ないのだ。たとえば宇宙で寝ることを想像してみても、ただ単に不慣れすぎて、怖さや緊張が優ってしまう気しかしない。

かといって、普段通っている場所(学校など)に泊まればいいのかというと、そうでもない。会社に泊まることを想像しても、全くワクワクしない。

でも待てよ、同僚がみんな一緒だったらどうだろう。電気を落とした真っ暗なオフィスで、皆で床に布団を敷いて寝そべり、近くの人とヒソヒソ話しつづけるとしたら。その話し相手が、可愛い女の子だったり、渋かっこいい先輩だったりしたら。それはちょっとワクワクするかもしれん。

①日常の中で昼間"だけ"すごしている場所で

②昼間"だけ"一緒にすごしている人と、寝泊りする

というのがポイントかもしれない。普段から夜もすごす場所や、夜も一緒にすごす人ではダメなのだ。だから、家族がからむと途端にお泊まりではなくなってしまう。大学の友だちも、日常的に夜も一緒にいたから、対象外だったのだ。

 

これを満たす状況が、どこかにないものか。

 

ないなあ。。